『第4話 STRAYARTIST -on the way-』

    【サブタイトル:Fall in my heart】

    【シーン01:片腕の少年】

    東南アジア。アウトローの吹き溜まりのようになっている街。
    通りにはゴミ袋が無造作に散らばり、そこかしこの路地で、ひそひそと話し合ういかつい男たち。非合法の取引が行われているように見えるが、それらを取り締まる目も少なそうだ。街角に立って煙草を吹かす派手な女性は、商売女だろうか。治安の悪い地域だと誰もが知っている。

    銃を扱う店の隣に、街に一軒だけの医院があった。無免許の医師が営んでいる診療所だ。この立地なのはわざとだろう。身の安全を守りたいのは、皆、一緒だ。

    Consultation Room(診察室)にて。
    パイプ椅子に腰かけていたのは片腕の少年だった。右腕が、肩の下から無くなっている。欠損したその右手と同様、胸にも包帯を巻いていた。ボタンの外れかけたシャツを羽織っただけの、粗末な身なりだ。
    虚ろな目で、奥のデスクにいる医師と向かい合っている。椅子の足元には、何か大きな道具が入ったトートバッグが置いてある。

    「悪いが、金持ってないなら、治療できないよ」
    視線も合わせずに、カルテにメモをしながら医師は冷たく言った。
    「それに、君の身体…… 裏社会《このあたり》の医療技術では、気休めの処置しか出来ないんだ」
    「その薬《ドラッグ》も……金ないなら売れない。帰りなさい」

    こともなげに告げると、医師は白衣を脱ぎ、自分のオフィスチェアにかける。冷房が効いていないから、暑いのだ。白衣の下はアロハシャツだった。
    少年(ノゾム)は、左手でトートバッグを提げ直し、黙ったまま退室する。何も言えないのだろう。

    カララ、とドアを閉じ、通用口に向かう。廊下は薄暗い。
    待ち合いのソファに、モヒカンの男がいた。筋骨隆々の体躯に、刺青をしている。傍らには松葉杖。足にはギブスをしていた。
    「ボウズ、景気悪いツラだな。聞こえてたぞ」

    ノゾムの左手に提げたトート。その中から、『デバイス』が覗いている。
    「それ」
    「売ったら金になるんじゃ? 知らんが……メチャ高いモンだろ? 命あっての物種じゃん」
    モヒカンの男は、単純に疑問に思っているようだ。通りすがりの親切心なのかもしれない。

    男の横に座っていた、連れの女が身を乗り出した。
    「それとも、ウチでショーに出れば?」
    少し、浮足立つような表情をしている。話の内容と服装から、ダンサーか、それともストリッパーか。
    「何でも描ける《だせる》んでしょー 引っ張りだこよー!」

    ノゾムは、眉を少しだけひそめる。
    (見世物《ショー》……)
    けれど、露骨に嫌な顔をするのも角が立つ。顔を合わせないようにして、小さく返事だけする。
    「これ、そういうんじゃないんで」

    待合室の男女は、特に反応するでもなく、その背を見送った。この街の人々は、それほど他人に興味を持たない。
    ノゾムが入り口の自動ドアを通ろうとして、閉まりかけたドアに挟まる。右手が無いから手間取っているのだ。デバイスを守り、ガチャガチャと音を立てながら、診療所を去っていく。

    【ここでタイトルコール】

    【シーン02:誇り高い物乞い】

    雑踏を行き交う人々。めいめい、自分の仕事や生活の会話をしながら、汚い通りの隅には目もくれずに歩く。
    民族服の少女学生たち。恋バナで笑い合っている。スーツの男。スマホで商談をしている。
    「昨日のジャンクミックス見た?」「今度一緒にゴハン行こうよ」「なに、新しい女? そいつ」「ハイ! では2時にボディガード連れてきますわ! はい!」
    ゴミ袋が路肩に積みあがっている。スラムに近い街は衛生的にも行き届いていない。

    ゴミ袋のわきに、ノゾムは一人、座り込んでいた。他に行くところも無いからだ。泊まる場所もない。金がないからだ。
    目線は道行く人々からは外している。こんな姿を見られたくもないのだ。でも、惨めったらしい顔つきはしていない。それは自分の感情が許さない。
    足元には、拾い物の割れたお椀を置いてある。こういう立場の浮浪者はそうするものだと、見よう見まねで覚えた。誰かが小銭を恵んでくれるのを待つ。それでなけなしの食べ物を買うという生活。

    傍らのトートバッグを漁る。薬《ドラッグ》を打たないと、ノゾムの命は繋げない。かつて受けた暴力は、腕が切断されただけではない。内臓を抉られ、身体の内部はめちゃめちゃにされている。辛うじて生きていられるのは、劇薬のドラッグを打っているからに過ぎない。
    (三日に一本に節約してたのに……さいごだ……)
    特に悲しさや絶望は、襲ってこなかった。もう慣れたのかもしれない。膝をぎゅっと抱えて、胸の中だけで呟く。
    (動けなくなるの……明日か……明後日か……)

    ふいに、カランという音が目の前に響いた。小銭をもらえたんだと思って、かすかに期待しながらノゾムは顔を上げる。お腹は常にペコペコだ。
    だが、お椀に入っていたのは――貨幣ではなく、チュッパチャプスだった。
    ざわりと頭が混乱した。自分が何をされたのか、理解するまで、軽く3秒はかかった。
    ノゾムはものも言わずに、トートバッグからデバイスをひっつかんで立ち上がる。怒りというには、あまりにいびつな感情だと理解できている。でもそうせずにはいられなかった。

    「おい、おまえっ」
    呼び止められたヤンキー二人連れが振り返る。今まさに、ノゾムに「飴玉」をやったヤンキーだ。ツンツン頭の派手なシャツの方が、「あー?」と間延びした声で返事した。
    浮浪者が何かを言っているという光景自体が、不可解なのかもしれない。
    「物乞いには、アメでもありがたいだろ?」
    何の疑問も持っていなさそうにツンツン頭は言う。本当に悪びれもしていないし、良いことをしているのにという風情さえ感じられる。
    「なめんなっ、バカにすんなよ‼」
    金切り声でノゾムは叫んだ。食料がどうのじゃない。尊厳の問題だ。

    「……んだよ」
    ツンツン頭は、とたんに不愉快そうな表情になり、連れのボウズ頭と一緒に、通りを引き返してきた。沸点が低いのだろう。
    ノゾムの胸倉をつかんで、蹴倒す。
    「恵んでやってるのに‼ なんだその態度‼」
    そのまま、ゴミ捨て場のノゾム――幼い浮浪者に殴る蹴るの暴行を加え始めた。大人が二人掛かりだ。しかも、その子供は瀕死の大怪我も同然の身体なのだ。

    【シーン03:大事な記憶】

    「くそっ!」
    ヤンキー達から辛くも身をよじって逃れたノゾムは、「左手」で握っているデバイスを、目の前の相手に向けた。試合のための道具だ。この状況で身を守ることに使っても、責められないだろう。
    「お前らなんか! 左手一本でも……‼」
    ノゾムはかつての、東アジアチャンピオンだ。その名と、自負に見合うだけの力は持っている。こんな場末のヤンキーなんか、ぼくは簡単に蹴散らせる。

    だがデバイスを振り上げたその一瞬。ノゾムの脳裏に、よぎった姿があった。
    黒衣の背中。長いコートをひるがえす、人々の命を背負える力を持った男。右手には世界最高峰の武器《デバイス》。その背中はどこまでも孤独で、遠い。

    リョウは振り返って、ノゾムに言う。
    『笑わせんな』『ガキがいきがるな』
    そのまなざしに射抜かれる。
    「あー! 左手で、なんだって!」喚くヤンキーたちの声もノゾムには届いていない。

    無言で、ノゾムはデバイスを下ろした。
    怯んだわけではない。自分のたった一人の、大切な師匠が――何も言ってはいないけど、そうする以外にない。
    「なんだ、そんなもん!」
    ここぞとばかりに、ヤンキーたちが嘲笑を始めた。
    「玩具《オモチャ》だろ! 金になんのか?」「お気楽お坊ちゃんか!」
    二人の悪党は、ギャハハ、と下卑た笑い声で、ノゾムの足元を蹴ってくる。本当にこの武具の価値を知らないのだろう。
    悔しさをこらえて黙っているノゾムだったが、さすがに我慢の限界だ。デバイスをバカにされて黙っているなんて、アーティストの名がすたる。
    「う、うるさいぞ! 師匠の武器《デバイス》なら……!」
    苦し紛れに、リョウの名前を出してしまった。恥ずかしさで耳が染まる。最強の、ぼくの師匠――だけどリョウは、どこまでも厳しく、未熟な弟子を戒める。
    『おまえはザコだ』

    ノゾムは今まで、誰よりも、他の誰よりも、あの日の敗北を噛みしめてきた。
    思い上がっていた子供が、尊敬する大人に、拳を叩きつけられて、思い知らされたこと。
    容赦のない拳で――言葉ではなく、背中で語ってくれた本物の大人。
    あの日ぼくは、武器《デバイス》を振るう、本当の意味を、知った。

    唇を噛んでうつむくノゾムの視界に、千切れた右手が映った。この手は、自分の誇りをかけて戦った手だ。もう、無くなってしまったんだ。痛々しく、今も包帯に血が滲んでいた。手当てもろくに受けていないのだ。
    そして、きゅう……ぐる、と腹が鳴った。もう何日食べていないか、覚えていない。

    下を向く自分が、よほど悲壮な表情をしていることは、自覚していた。
    睨み返す力も残っていない。涙すら出てこない。
    (施しを受けなければ、命を繋ぐことさえ出来ない)
    事実だ。なんなら、世界の理《ことわり》だ。
    (惨めだ)(悔しい)(でも 死にたくない)


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